君には青を

91Days二次
🔶 アヴィコルアヴィ&ネロアヴィ(ネロ)の三角関係 🔶+アヴィ右モブ姦
└自分的まとめ&補完
 潮騒が聞こえる。
 実際には聞いたこともないそれが、絶え間なく頭のなかで響いている。
 現実的な感覚は、とうに失った。何に触れても、何も感じない。
 ストレーガの手下たちに犯されながら、アヴィリオは、ぼう然と海というものを思い浮かべる。
 何も感じない、それなのに非現実的な、茫漠とした苦しみだけは、今も残る。絶望という乾いた砂を食らい続けるばかりの、少なくとも自分にとっては、地獄の業火に焼かれるよりも不快な鈍痛。
 もうよくわからない。
 もう何も見えない。
 もうすべては終わった。
 それなのに、まだ、この体は動いている。


――ただ、彼を待っている。


    ■


 夜が更けてもコルテオは、まだ夕方の興奮さめやらぬ風に、そわそわと行ったり来たりしていた。それでもぎこちなく笑顔を作り、「アン、……アヴィリオは、本当に……」と言いかけて、口をつぐむ。
 それを横目にアヴィリオは、コルテオの家のソファで煙草をふかし、数時間前のことを思い出していた。
――こんなにも早く、幸運にもネロと出会えるなんて。
 それでも、運命の女神が味方している、とは思わない。もしそうなら、こんなにも苦しまずに済んだ。どうやらそうした“運”からは、とうに見放されているらしい。
 ならば結末は、自分の手で作り上げるしかない。
「今まで――どうしてたの」問いながらコルテオが、ココアが入ったカップを差し出してくる。隣に座る。
 いらない、そんな気分じゃない、と言おうとしてやめた。まだ無垢な相貌がそこにあったからだ。
 それをけがしたくて、ここに来たわけではない。
 彼の質問には、どうやって生きてきたのか、助けてくれる人がいたのかといった意味合いを含んでいるようだ。だが残念ながらアヴィリオは、彼が望む答えを持ち合わせてはいない。
「知りたいか? ほんとうに?」
 神妙な顔でコルテオがうなずく。本人は、どんな答えをも受け止める覚悟をしたつもりなんだろう。でも、どうせ分からない。何も分かっていない。分かるわけがない。
 その首の後ろに手をまわし、乱暴に引き寄せる。口づける。
 ずれた眼鏡の奥に、まん丸く見開かれた灰色の瞳。それを見つめつつ、舌を入れてやろうとしたところで、強引に押し離される。
 コルテオは、慌てて後ろを向いた。その背に、これが答えだと静かに告げた。
 それ以上でも以下でもない。必要なことは何でもやった、それだけだ。殺しをやらずに済んだのは、幸か不幸か。
 お前には想像もできないだろう、と思う。
 耳を真っ赤にするそのうぶな姿を見て、つい笑ってしまう。「分からないだろうし、分からなくていい」
 言い捨てて、用意してもらったベッドへ向かおうと、立ち上がったところ、手を取られた。
「忘れたことなんてなかったんだ。あの日から、ずっと」
 彼は目線を俯けたままつぶやく。
「本当に、よかった。――生きててくれて」
 子供みたいな懐かしいぬくもりが、その手の平から伝わる。
 それだけで力が抜けそうなほどの熱を、体の底からじんわりと覚える。
 ふたたびその横に座りなおした。頬に触れ、あらためてキスをする。
 そっと舌を入れると、今度は彼も、おずおずと舌を入れてくる。
 絡める舌が熱い。
 なぜか、泣きたくなった。
 頬を上気させコルテオがまたほほ笑む。「会いたかったよ、アヴィリオ」


    ■


 数日ぶりに会うアヴィリオを見て、コルテオがうれしそうな顔をしたのは一瞬だった。すぐにうなだれ、頭を抱えてしまう。
「さっきまで、ネロと……、またネロと寝たの?」
 また、どころじゃない。このところは毎晩だ。わざわざ訂正もしないが、といって否定もしてやらない。
「僕には……分からない。アヴィリオが何を考えているのか……」
 昨夜ネロと寝たばかりだとか、そんなどうでもいいことには気がつく癖に。
「復讐のためだ」と言えば、さらに疑いに満ちた目で、「本当に? 僕には、そうとは……」
 じゃあ信じなくていい、と何か言おうとするその口をふさごうとして、腕をはらわれる。
「僕にアヴィリオを抱けって言うの、いまのアヴィリオを」
「だったら、俺が抱く」
「そういう問題じゃ」
 それでも無理にキスをする。抵抗しようとする腕を先に塞いで、強引に舌でこじ開ける。
 コルテオは早々に抗うのをやめる。しょんぼりと肩を落とす。
 けっきょく、すべて受け入れられてしまう。
――ごめんなコルテオ。
 と、素直に思った。
 ほんとうは、こんな風に巻き込んではいけないものだった。まだけがれていないと思いたい、でも、どうだかわからない。
 いずれは突き放さなければいけないのに、この穏やかな熱を、こんなにも刻み付けたいと願ってしまうのはなぜだろう。
 もう少し傍にいたいと願ってしまうのは、どうしてだろう。


    ■


 ネロの部屋へは、もはや顔だけで自由に出入りできる。廊下で「アヴィリオさんお疲れさまです」などと声をかけられつつ、扉を開ける。
 広い背中が視界に飛び込む。
「今日バルベロは泊まりこみなんだと」
「寂しそうだな」
 そう返せばその背は振り返り、いたずらっぽく青い目をたわませる。「そぉ見えるか?」
 ベルベットのソファに身をうずめ、「もう少し護衛を増やしたらどうだ」その身を案ずるようなことを言うと、
「ばかやろう」ネロはアヴィリオに近づき、もたれかかりながら、「増やしたら、こういうことができなくなんだろ」
 ばかはどっちだ、と襟ぐりをつかむ。
 口づける。コルテオとのそれとはまったく違う、お互いに食らいつくさんばかりの荒々しいキス。
 アヴィリオは、シャツを自分で脱ぎながら言う。「今日は俺に抱かせてくれるんだろ?」
「いやだっつってんだろ。女役は絶対、やらねえ」
「じゃあ一回お前がやったあれは、なんだったんだ?」
「あれは……無しだ」
 テントで初めて寝た日から、女役は絶対にごめんだと言ってきかなかったネロだが、“兄弟げんか”の収束のあと、一度だけ抱かせてくれたことがある。
 まったくネロらしくないくずおれた表情で、かすれた声で言ったのだ。「めちゃくちゃにしてくれ」
 体の中央で、何かがぞわりと震えた。
 憎い相手を組み敷けば、それだけでもいくらか心が晴れるのではないかと思っていた。
 だが実際のところ、昂揚はそう長く続かなかった。
 悪くはなかった。だが、想像とは違った。
 この空虚を満たすものは、どうやらこれではないらしい。
 以降はなんだかんだ言いつつも、最後には黙って抱かれている。
 その扱いは、あまり丁寧とは言えない。いつもこうなのかと問えば、女相手ならもっと優しくすると言う。
 正直、いやではなかった。そのほうがいい。より屈辱的なほうが、その火はより盛んに燃え上がる。
 快感は一色ではない。それで最も憎い相手を、ずたずたにできる。
 一番恨めしいのは、あの日何もできなかった自分だった。小さなその背を繋ぎ止められなかった自分だ。家族を殺したかもしれない相手に抱かれ、情火に狂うことほど、己を貶めるものはない。
 一度終えて、ふたたび抱き合い、上に乗るネロの後頭部を撫でながら問う。「“愛してる”――とか言ったら、どう思う」
「ぞっとしねえな」
「じゃあ、愛してる」
「お前な」
 苦笑しつつ、ネロの動きは激しさを増す。身をよじり、受け入れながら拒み、そのたびに開かれる。探し当てるように突き上げられる。
 声は、そう簡単には上げない。上げてやってもいいが、その方が案外むきになって食らいついて来る。夢中にさせるなら、容易に陥落させてやらない方がいい。
 それでも、そのうちに体のほうが陥落を望み、甘んじてそれを受け入れようとし出す。目のまえがぐらぐらしてくる。
――ルーチェ。
 アヴィリオを抱く熱、その体の向こうに、黒い影を見る。
 こんな俺を見て、お前は何を思うだろう?
――分かっている。もう、そっちへ行くから。
 次第に快楽は緊張をともない、ただその一点だけを目指して、体と思考がどろどろと崩れ始める。
 視界が白く弾ける。


 自分のなかで、何かが死に絶えた感覚。


    ■


 長く孤独と絶望に身を浸した、暗いはずの部屋。それが今はほのかな明かりに照らされ、部屋中優しく甘ったるいシロップに浸かっている。溶けているのは、体かだろうか、心だろうか。
 船を降りここに着いたのは、少し前だったように感じたが、いつの間にか窓の外には、夜のとばりが広がっている。
 裸でベッドに横たわったまま、その手のひらを取って見つめた。
――もしこの手に触れ続けたら、俺はどうなってしまうだろう。
「どうしたの」と訊かれ、その手を離す。なんとなく目を反らし、起き上がる。彼も一緒にからだを起こした。
 その手が今度は、アヴィリオの頬に触れる。誘われるように、そちらに目を向ける。
 その手は相変わらず温柔だった。いつもそうだ、過去の傷も痛みもすべて癒やさんばかりにアヴィリオを労わる。
「今日のアヴィリオは、ちょっと……子供みたいだね」
 そう言われても、自分ではよく分からない。
「アヴィリオはここで、大人になったんだね。ひとりぼっちで、子供のまま……」
 何を想像しているのだろう、彼は目をつむり、邪気なく言う。
 それを見つめながらアヴィリオは、あらためて思う。――もっと早く、遠くへ追いやるべきだった。
 まず思い浮かぶのは、突き放したあの日の場面だった。
 どうしてあんなやり方をしてしまったんだろう。力づくで引きはがしながらも、同時にその裾を引き戻すようなやり方を。
 自分は、もっと器用な人間だと思っていた。人をだますのも、利用するのも、殺すのもたやすい。
 なのにどうして、コルテオには、上手い嘘がつけなかったんだろう。
 目をつむったのが眠っているようにも見え、幼年時代が終わったあの夜、別れぎわに見た寝顔を思い出す。
――あの言葉が、俺を生かした。それが全ての始まりだった。
 そしてそれで、全てが終わる。
 コルテオが“目を覚まし”、それからやおらにアヴィリオを抱き締める。その首元に顔を埋め、「全部終わったら、一緒に……どこかに行こう」
「……どこか?」
「昔、海に行こうとしたこと、覚えてる?」
 言われて記憶がよみがえる。親に内緒で小旅行トリップを企てたこと。むかし一緒に海の図鑑を眺めていたら、コルテオが「海に行ってみたい」と言ったので、アンジェロは「じゃあ行こうよ」と答え、早速準備に取り掛かったが、まだ小さいルーチェを仲間はずれにしたら告げ口されて、あえなく見つかった。
 そんな遠い思い出話だ。
「今もまだ行きたいか?」と問うと、
「アヴィリオとならね」
 何も言えなくなって微笑し、たばこをくわえる。
 火をつけようとして、やめた。
 ゆるやかに落ちた長い髪をそっと撫で、耳の下にキスをする。それだけで彼はいまも生娘みたいな反応をする。次は俺が抱く、とゆっくりと押し倒す。
 可愛いコルテオ。
 けれど強く抱きしめるのは、怖い。お互いに、そっと手を触れる。舌と指で、恐る恐る愛撫する。
 時おり小さな声をあげながらコルテオも、ずっとアヴィリオの肌を撫ぜていた。
 どこまでも深くアヴィリオを受け入れる、とくとくと脈打つこのぬくもり。これは一体、誰の熱だろう?
“生きている”という感じがする。
 ネロとする時の、死をも目前に見るような、どろりとした強烈な快楽とはまた違う。光に満ちた何かに包まれてしまう、そういう快さがある。
 自他の境をなくすほど、甘く包まれる。堅く強ばらせた何かを、ぎこちなく、ゆっくりとほどかれてしまう。
 そういう何か。
 今まではそれが少し怖くもあったが、それでも今だけは、この懐かしい光を、存分に浴びていたいと思った。
 きっと今日が最後になるだろう。この先は、転がり落ちるだけだ。
 光のなかで、アヴィリオはまどろむ。幼いころ大切にしていた毛布に、くるまれるように。


    ■


 その言葉が、その存在が、アヴィリオを生かし続けた。
 もっとも大切なはずのもの。
 それを大事にすることよりも、復讐を、ひいては自分が救われることを望んだ。
 だからだろうか。
 まるで何かに導かれたようでもあった。悪魔に魂を売ったその身からすべてを奪い、絶望より深い苦しみを与えるために。
 コルテオがほんとうに望んでいたこと、それは一体なんだっただろう。学校へ行くこと? いやきっとそれだけではない。
 気づきながら、見てみぬふりをした。その願いを叶えてやろうなど、考えもしなかった。
 ほんとうは答えなんていらなかった、わかっていた。そんなものは見たくはなかった。
 七年間自分を生かし続けた光が、潰えた。



    ■



 それはまるで、自分自身への復讐劇のようだった。
 用意したよりも鮮やかで残酷なバッドエンド、しかし終幕は思っていたよりもずっと穏やかで、静かだ。
 冷たいさざ波が靴底を湿らす。
 ネロはお人好しだ。いかにも殴ってほしそうな人間を、わざわざ殴るのは、そういう人間だけだ。殺さなかったからには、きっと追いかけてきてくれる・・・
 真実光を失ったこの闇のなかで、引き金を引けるのは彼だけだと思った。彼であってほしかった。彼でなければだめだった。だから、待った。
 それもまたひとつの愛と呼べるものだっただろうか。もう、わからない。
 いずれにせよ“お人好し”は、きっとそれすらも遂げてくれるのだろう。
 ネロは淡然と答えを出し、アヴィリオは“愛している”よりも深い思いを込めた言葉を落とす。先ほどかすかに抱いた意念を掻き消す。
 ここに彼がいたら、その灰色の瞳にこの冷たい色の海は、どう映っただろう。
 心のなかでその名を呼びかけてみる。
 たくさんひどい思いをさせた。都合がいい話かもしれないが、それでも浮かぶのは笑顔だけだった。
――次に会ったら、俺はなんて言うだろう? でもきっとお前は、俺が何か言うより先に、ほほ笑むんだろうな。
 ネロが後ろで、息を呑んだのに感付く。アヴィリオは、ほっと安意する。
 もしも本当に憎い相手だったら、さっさと殺すか、このまま生かしていただろうに。
 俺たちはどうして皆、こうもおろかで、不器用だったんだろう。
 こんなふうにしか、誰かを愛することができない。できなかった。
 銃声が一瞬で静寂をつんざき、またたく間に霧散する。
 何かを断ち切るように、ざくざくと遠ざかる足音。
 後悔も謝罪も、しない。
 ただ、思う。――この三か月間、楽しかった。ネロという男が好きだった。
 ぬるい血が、胸の下の砂に染み込んでゆく。
 右手の指を、白砂の上で二度そっと動かす。それをたしかめ、もういちど安堵し、微笑した。
 潮騒の狭間を埋めつくす光がまぶしく、あたたかい。